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山田レイ(Rei works)

出演日 8/18/15:00/18:00

'97年ダンスカンパニーディニオス退団、Rei worksを結成して「天と地を結ぶ宿神としての踊り」を目標に創作を重ねている。
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ライフワークともいえる「芭蕉精」の何度目かの上演です。この作品は、金春禅竹の能「芭蕉」に層を得たものだそうです。
能「芭蕉」については→コチラhttp://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/nobasyou.html
踊ることが、聖なる存在との交流、交感であることをもっとも重視している山田にとって、この作品は、ほとんど処女作のような作品でありながら、自らの到達点を描いているような作品でもあるということです。
能を基としているということもあって、二部構成で、クレッシェンドのように徐々に高まっていくのをはっきりと見ることが出来ます。また、変化(へんげ)ということを感じながら見ると、いっそう作品の理解が深まると思います。
京都の稽古場で見せてもらっていて、風の吹く、自然界の中で見たい作品だな、と思いました。

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山田レイ「芭蕉精」
演出=山本泉、映像=さわゆき
 金春禅竹の謡曲「芭蕉」を下敷きにした作品ということで、なるほど前半と後半と大きく二部に大別され、前半より後半の方が動きが大きく、音楽も変わるから、作品の半ばで変化(へんげ)があったものと思われる。
 山田の舞踊で特筆すべきなのは、その動きのなめらかな美しさということだろう。比較的動きが少ない前半はもちろん、後半の大きな流れるようなよどみない動きは風や水や、要するにいわゆる人の身体が流体であるがゆえの、美しさを通り越した悲しみのようなものさえ見えてくる超越的なものだった。また、床を軽く押さえるようなしぐさが何度か見られたが、地にある何ものかを鎮めたり聴いたり抑えたりといった様々な交感の形であったように思われた。それは正確に言うと、地にある何ものかとダンサー個人との交感であるというのではなく、聖なるもの同士、永遠なるもの同士の交感が山田の身体を通っていたような、そのような立ち方だった。
 やや説明的な映像が使われていたことについては、賛否が分かれることだろう。前半で、山田の身体のシモ手の上に映し出されていた月は、美しくはあったが、映像として提示されていなくても、十分見え感じられるるものだったと思う。中盤で山田の腕の動きに遅れて描かれる火炎のようなフォルムは、美しく効果的であったと思うが、映像で見せられなくても見ることができたと思われるものだっただろう。
そう思われたのは、映像が身体の世界と拮抗した世界を創ろうとすることよりも、身体の表現を補完する機能を果たそうとしていたからであって、既に身体が十分な表現力をそなえていた。そこで表現されているものは、山田が観客に伝えたいと思っている世界と細部にわたって完全に同じではないにせよ、本質的で重要な世界観を共有することは果たせていたと思う。その後は、観客の想念にゆだねてもいいように思うのだが。

by timeofdance | 2007-08-05 00:12 | 山田レイ(Rei works)  

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