IE9ピン留め

樋口未芳子

出演日 8/18/15:00/18:00

'05年バレエコンクールin横浜コンテンポラリー部門1位。大学で舞踊を学び、バレエを軸にクロスジャンルなダンスを目指す。
撮影=近藤幸博


18日の樋口未芳子の「月待ち」は、藤高智大という男性とのデュオ。月を待ちつつ祈りを唱えるという古来の風習から、刀鍛冶と月の精の関係を提示する作品。バレエダンサーの樋口と、役者の藤高が披露する殺陣のコントラストが印象的です。本番に向け、どんどん膨らんでくる作品だと思います。(ジョウネン)



樋口未芳子「月待ち」
 女、続いて武士らしい人物が現れ、それぞれに印象的なソロを見せ、デュオとなり、女が去っていくという流れ。タイトルといい流れといい、かぐや姫を思わせるような作りだが、樋口に大略を聞くと、月の精が武士の刀に込めた祈りを聞き届けて去る、ということらしい。
 藤高の刀さばきや表情はシャープで美しく、樋口の動きは鋭くかつ品があった。藤高が刀を身につけるまでのゆっくりと丁寧な所作は心がこもっており、刀がとても大切にされているという以上に、この男が何か大切なことに向かっているらしいことをうかがわせるものだった。デュオで樋口が藤高に寄り添うように近づきその胸中を推し量っているような姿は、藤高が月の精である樋口の存在に気づいていないという分だけある種の切実さが感じられた。
樋口はバレエダンサーであるし、藤高は演劇をやっているというから、どちらかというと言葉や物語から動きを起こしていくような作業を行った結果の作品だと思われるが、説明的な動きを省略しすぎたのか(たとえば、単純だが、藤高が一心に祈る姿を見せてもよかったかも知れない)、抽象度を高めようとしすぎたのか、やや物語を追うことが難しくなったように思われる。すべての作品が、その背景や物語を明示する必要はないと思うが、この愛らしいおとぎ話のような作品については、それらが明らかにされた方が、安心して観ることができたように思う。
 また一方で、無駄な、というと否定的すぎるが、意味を示さない動きやシーンが少なく、動きが意味を追いかけて次々と段取りを急ぎすぎていたように思えたところがある。作品の中で、ある状態(事件の場面でも心のありようでも)をキープして、たっぷりと歌うように見せる部分があってもいいのではないか。そういうような、立ち止まってゆっくりと踊る場面を作れれば、いっそう豊潤な作品になるだろう。

# by timeofdance | 2007-08-16 01:08 | 樋口未芳子 

垣尾 優

出演日 8/19/14:00/17:00

殴り合いという究極のコンタクト、contact Gonzo(with七九式(塚原悠也))から編み出された、独りでの「Gonzo舞」(ゴンゾブ)


19日の垣尾優の「GONZOBU COPPER PIPE」は、銅管をうまく使って、垣尾の独特の存在感、たたずまいを見せていく作品のようです。照明の遊びも含め、見入ってしまうような魅力があります。


垣尾優「ダイバー」
 一見単調でつかみどころのない作品なのだが、垣尾のかぶっている野球帽のような帽子が一つの仕掛けとなっていたようだ。上体を大きく動かすせいで帽子が脱げるたびに動きが中断され、小首をかしげながら帽子を拾い、また一連の動きを始めるという繰り返しが、この作品の構成要素となっている。その中断と再開が彼の特徴的な動きを導き出し、それを脈絡なさそうに、失敗しているのか成功しているのかわからないような微妙な表情のまま流して行く。クライマックスをめざさない構成であり、淡々と最後まで同じようなことを繰り返しているように見える。
 しかし、動きの一つ一つが、非常に魅力的だ。鳩の歩みかムーンウォークを思わせる、進むことと戻ることを同時に行うような動きの繰り返しが、単にそのような動きであるだけでなく、そのように行きつ戻りつしなければならないような、心のためらいか状況の困難があるかのように思われ、何か観る者の心をささくれ立たせるような情緒を生んでいる。それが淡々と、ポーカーフェイスで進められる。
 勝手な想像かもしれないが、垣尾のダンスには、いつも居心地の悪さが感じられる。見ていて居心地が悪くなるのではなく、垣尾自身にとって(この世の中は)居心地が悪いんだろうなというふうに思いめぐらしてしまう。それは世の中というに留まらず、ダンスの中にあってもダンスしていることが居心地悪そうな、ためらいや戸惑いが感じられるから、面白いというか、たちが悪いというか。いつでも動きを止めてしまいそうな、いつ終わっても不思議ではない作り方でありながら、何とか無理にでも時間を推し進めているようなざらつきが、魅力的だ。そういう男が、それでも目の前で動いている。ダンスや、作品や、公演や、劇場というような枠組み、額縁そのものを、疑わなければならないことを思い出させるような存在である。

# by timeofdance | 2007-08-16 01:08 | 垣尾優 

由良部正美

出演日 8/11/18:00

'82年、舞踏グループ東方夜總会退会、舞踏の現在化を目指し、ソロダンサーとして海外も含め活発な公演活動を行っている。


由良部正美は、バリ舞踊の大西由希子とのデュオ「正面の女(ひと)」(11日)。由良部さんはちょこっとだけしか出ませんが。張り舞踊独特の動きが、少しだけ出てくるのですが、その不思議な突出感には戦慄させられます。それが日常的な普通の動きの中に置かれることで、全体に違和感が浸透して、不思議な世界に。



「正面の女(ひと)」
出演=大西由希子・由良部正美、振付=由良部正美
 バリ舞踊に魅せられて十数年という大西が、舞踏家の由良部の振付を得て披露する現代作品。
 壁にもたれている姿を見せることから始まり、バタバタと壁を叩きながら走る様子を見せる。含意としては、閉ざされた世界の中で出口を求めたり、助けを求めたりしているように思われる。そこでは、どちらかというと、行き所なく閉じこめられた力のない存在のようである。
 舞台中央に立った大西は、いかにもバリ舞踊らしく大きく強く目を見開いたり、身体の中心線に沿って両手を上下に離して中の気圧を抜くようにしたりして、何か別のものになったようである。強く「気」を感じさせる動き、表情、形で、これまでの時間の流れとは異なり、天上か地中から直結しているような別の世界から垂直に何ものかが立ち上がってきたかのような時空の変化が見られた。もちろんこれは動きとしては強いインパクトのあるもので、先に述べた力ない存在を示していたのとは対照的である。
 一つの作品の中に異なる世界を取り込むために、アーティストは様々な工夫を凝らす。バリ舞踊家である大西が、一つの作品を発表するにあたって、彼女にとっての踊りのための身体と、そうではない身体を同時に提出することは、ある種の強引さを伴うものではなかっただろうか。それを形とするための導線の役割を果たしたのが、由良部という舞踏を自由にフレーミングすることのできる存在だったのではないだろうか。
 大西の身体や動きの美しさだけでなく、民族舞踊と現代舞踊を並立させたときに、こんなにも刺激的なコントラストが生まれ、それが一つの内面の吐露であり得るということを知ることができた、刺激的な作品だった。

# by timeofdance | 2007-08-16 01:07 | 由良部正美 

佐藤玲緒奈+サイトウマコト

公演日:8/11/18:00・8/12/14:00


佐藤玲緒奈=ソウダバレエスクールを経てワガノワバレエアカデミー留学。数々のバレエコンクールで上位入賞。'04年よりスロバキア国立バレエ団所属。

サイトウマコト=アングラ演劇を経験した後、ジャズダンス、バレエ、コンテンポラリーなど幅広いダンスを展開。指導者としても多くのコンクール受賞者をサポートしている。

佐藤玲緒奈+サイトウマコトの「一秒分の五十年」(11日、12日)は、男女の絶望的な出会いをモチーフとした、セツナイ作品です。佐藤は「ダンスの時間」初期から出てくれていますが、スロヴァキア国立バレエ団に行って、表現力が格段に増したように思います。プロのバレエダンサーを間近に見ることも珍しいと思います。なお「五十年」というのは、サイトウの「50 years」という作品を遠くベースにしていることを表しています。 (ジョウネン)


「一秒分の50年」
出演=佐藤玲緒奈+サイトウマコト、振付=サイトウマコト
 2004年にスロヴァキア国立バレエ団の所属となった佐藤は、「ダンスの時間」スタート当初から多くのサイトウ作品を踊って、コンテンポラリー・バレエの魅力を教えてくれていたが、本作でも一層豊かになった表現力を駆使して、叙情豊かで濃密な世界を見せてくれた。
 中央の小さなスポットライトを挟んで向き合った二人が鏡のように同じ動きをする。双生児のような、存在の片割れ同士であるようだ。このシーンはラストにも再度提示されるが、それは単に作品を終息させるためのソナタ形式として選ばれたのではなく、繰り返されることによって時間が停止していることを示したように思われる。
 時間が停止するとは、永遠ということだが、この2回のシーンの間には、佐藤のソロを前面に押し出しながら、2人のコンタクト、サイトウの短いが印象的なソロと、様々な世界が繰り広げられる。
 2人のコンタクトでは、ほんの少しバタバタして流れが滞るようなところがあったように思えたのが残念だったが、動きを小さくまとめるのではなく、遠心力を使うなどダイナミックな動きを見せるのは、サイトウの真骨頂。のびやかな動きと無表情な顔つきが魅力的な佐藤のソロの背後で、それを遠望するように照明から外れた奥や隅でサイトウが微かに動いている。二者の間は隔絶されているようで、大きな時空の広がりが見られた。
 佐藤は女性バレエダンサーとしては大柄なほうだと思うが、それをよく生かしてダイナミックに世界を創ることができる。四肢をリリースして放り出したような動きがパペットのようで、感情どころか生命も吸い取られた姿が哀しみを誘う。ラストで向き合ったときの表情は直面している相手の向こう側にある本質的なものを希求しているようで、強い力があった。今後もコンテンポラリー作品を大切にして、新しい世界を拓いていってほしい。

# by timeofdance | 2007-08-16 01:05 | 佐藤玲緒奈+サイトウマコト 

片上 守

出演日 8/12/14:00・8/19/14:00/17:00・8/26/14:00

'00年からフリー。'02年DANCE EXPRESS始動。限界のない感性と硬軟自在な動きを活かして、自分自身を刻み込んで踊る。

「月もスッポン」「だれも知らない祭」の2作品を上演します。「人とつきあうことが苦手で、つい自分の殻に閉じこもってしまうのを解き放つため、片上守の身体性以外の別の側面を出すこと、人と向き合うことで人とのつながりを感じること」そのあたりが作品のテーマだそうです。(ジョウネン)

# by timeofdance | 2007-08-08 22:46 | 片上守 

ハイディ・S・ダーニング

出演日 8/18/15:00/18:00

コンテンポラリーダンスと日舞(藤間流名取)のフュージョン作品を世界各地で上演。
撮影:Mayumi Tonomura

作品は「Ruby」。アルティ・ブヨウ・フェスティバルをはじめ、様々な機会でハイディが大切に踊ってきた、特別な作品です。阪神・淡路大震災でお母様を亡くされたハイディにとって、今年のお盆は13回忌に当たります。ちょうどこのフェスティバルで、お盆の前後にこの作品を踊ることが出来ることを、ハイディはとても特別なことだと感じています。そうか、今年のお盆は、震災で亡くなったすべての人にとって、13回忌になるのか、と思いつつ、アルティで観たハイディの姿を思い出し、それをまた観ることができることに感動しています。9月にはバルセロナでの上演も決まっているそうです。(ジョウネン)

# by timeofdance | 2007-08-08 22:46 | ハイディ・S・ダーニング 

アンサンブル・ゾネ

出演日 8/11/15:00 8/26/14:00,17:00

岡登志子を中心に、身体を通して、人間の実存を問う作品づくりを目指している。同一作品を間隔をあけて上演。
撮影:阿波根治

暗闇から始まる世界です。isolatedな感じのするソロが次々に展開して、再び元の闇に戻っていく、濃密な作品。11日は照明プランを岩村原太さんが提供、26日は岩村さんが照明のオペも担当します。それも楽しみ。


アンサンブル・ゾネ「fragment」
出演=アンサンブル・ゾネ(伊藤愛、岡本早未、山岡美穂、糸瀬公二、井筒麻也)、振付=岡登志子
 fragmentは断片。ある作品(来年3月上演予定)の断片であるということの他に、個々のダンサー、それぞれの場面が、大きな世界の部分であることを強く意識させられ、逆に世界の総体や完全性への志向を強く感じさせられる作品だった。
 暗闇の中、何かがズルズルッと音を立てている。丸椅子が置かれていたから、それらが音を立てているのだと想像はつくが、わからなさ、遠さが提示されているようで、非常に印象深い。果たして3人のダンサーが、腰を浮かせて座っている椅子を回し、また腰掛けるということを繰り返していたことが再提示される。その動き自体から意味というものを汲み取ることは難しいが、ある営みが淡々と繰り返されているというだけで、時間や意味についてある種の感懐を持たされる。
 そこに一人、コートを着た女が這うように異物として現れる。後ろの椅子には1人だけ残っていて、腕を上げたり腰を回したりしている。コートの女はバサッバサッと勢いをつけて身体を一杯に伸ばしながら、方向性と鋭さをもって姿勢を低く這うように動く。何ゆえかわからない、極度の緊張感に包まれる。その後、男性ダンサーのソロがあり、冒頭の椅子のシーンに戻り、コートの女がコートを着ずに現れ、終わる。
 あえて中央の通路ではなく舞台奥の扉を使ったのは、やはり「向こう側」へのこだわりが強かったからだろう。また、初日は蛍光灯、最終日はアクアリウムなどに使う強い電灯を使い、白くぼやっとした光を演出したのも、舞台空間の中での靄のような曖昧さを、一つの意味として出そうとしたからだと思われる(照明=岩村原太)。
 今回の場面が挿入される作品の全体を観たときに、初めて理解される世界というものが存在しているのだろうが、フラクタルではないが、断片にもその世界の予感が流れていて、それを味わうことがまた別種の喜びであり得る。そして実は、その世界の全体像が予感のようにしか現れないというのは、アンサンブル・ゾネの作品の本質であるようにも思われるのだ。

# by timeofdance | 2007-08-08 22:39 | アンサンブル・ゾネ 

山田レイ(Rei works)

出演日 8/18/15:00/18:00

'97年ダンスカンパニーディニオス退団、Rei worksを結成して「天と地を結ぶ宿神としての踊り」を目標に創作を重ねている。


ライフワークともいえる「芭蕉精」の何度目かの上演です。この作品は、金春禅竹の能「芭蕉」に層を得たものだそうです。
能「芭蕉」については→コチラhttp://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/nobasyou.html
踊ることが、聖なる存在との交流、交感であることをもっとも重視している山田にとって、この作品は、ほとんど処女作のような作品でありながら、自らの到達点を描いているような作品でもあるということです。
能を基としているということもあって、二部構成で、クレッシェンドのように徐々に高まっていくのをはっきりと見ることが出来ます。また、変化(へんげ)ということを感じながら見ると、いっそう作品の理解が深まると思います。
京都の稽古場で見せてもらっていて、風の吹く、自然界の中で見たい作品だな、と思いました。


山田レイ「芭蕉精」
演出=山本泉、映像=さわゆき
 金春禅竹の謡曲「芭蕉」を下敷きにした作品ということで、なるほど前半と後半と大きく二部に大別され、前半より後半の方が動きが大きく、音楽も変わるから、作品の半ばで変化(へんげ)があったものと思われる。
 山田の舞踊で特筆すべきなのは、その動きのなめらかな美しさということだろう。比較的動きが少ない前半はもちろん、後半の大きな流れるようなよどみない動きは風や水や、要するにいわゆる人の身体が流体であるがゆえの、美しさを通り越した悲しみのようなものさえ見えてくる超越的なものだった。また、床を軽く押さえるようなしぐさが何度か見られたが、地にある何ものかを鎮めたり聴いたり抑えたりといった様々な交感の形であったように思われた。それは正確に言うと、地にある何ものかとダンサー個人との交感であるというのではなく、聖なるもの同士、永遠なるもの同士の交感が山田の身体を通っていたような、そのような立ち方だった。
 やや説明的な映像が使われていたことについては、賛否が分かれることだろう。前半で、山田の身体のシモ手の上に映し出されていた月は、美しくはあったが、映像として提示されていなくても、十分見え感じられるるものだったと思う。中盤で山田の腕の動きに遅れて描かれる火炎のようなフォルムは、美しく効果的であったと思うが、映像で見せられなくても見ることができたと思われるものだっただろう。
そう思われたのは、映像が身体の世界と拮抗した世界を創ろうとすることよりも、身体の表現を補完する機能を果たそうとしていたからであって、既に身体が十分な表現力をそなえていた。そこで表現されているものは、山田が観客に伝えたいと思っている世界と細部にわたって完全に同じではないにせよ、本質的で重要な世界観を共有することは果たせていたと思う。その後は、観客の想念にゆだねてもいいように思うのだが。

# by timeofdance | 2007-08-05 00:12 | 山田レイ(Rei works) 

村上和司

出演日 8/12/14:00 8/26/17:00

近畿大学でモダンダンスを神澤和夫氏に学ぶ。即興性を重視し、観客を交えた楽しくスリリングなダンスを展開している。


12日はソロ、26日は別作品をトリオで上演するそうです。
12日のソロ「RED MAN 2007」は、dBで上演したものの再演。あっと驚くような(爆笑するような?)仕掛けがあります。それ以上に感じたのは、動きの美しさと正確さ、そしてそこからにじみ出て来るえもいわれぬ複雑な感情でした。村上のダンス作品は、客いじりや異語を語る面白さに注目されてきたように思いますが、今回の作品は、「踊りきる」ことに忠実に真摯に向き合っているものだと思います。
26日のトリオ「REDさん」は、大阪ショートプレイフェスティバルで上演したものの再演だそうです。(ジョウネン)


「RED MAN 2007」
振付・出演=村上和司
 RED MANは村上が連続的に取り組んでいるシリーズ作品で、2007年版も既にdance Boxなどで何度も上演されている。破天荒なパフォーマンス的な要素の強い作品である一方、村上の大きな美点である正確で美しい動き、背中の筋肉の美しさ、そして過剰な表現となることを自らに禁じているような無表情が、妙に高い完成度を示す怪作である。
 赤い衣裳で着ぶくれした姿をして横たわっていたRED MANが立ち上がり、傍らの水の入ったペットボトルを観客に恭しく手渡す。激しい音楽に合わせて着ているものを一枚ずつ脱いでいくのだが、最後はノースリーブのラメ、そして巨大なブラジャー姿になる。お約束でブラジャーを焦らしながら外し、スイミングキャップ、競泳用メガネ、競泳用パンツ、という姿になると、ここからは村上のよく鍛えられた筋肉美が活躍する。
 ここからしばらく、幾何学的とでも呼びたくなるような、円と直線を多用した動きが長く反復される。村野四郎が『体操詩集』で讃美した身体が眼前にあるような情景である。あるポーズから別のポーズに移る時の指や肘の軌跡が非常に丁寧に描かれていて、日舞の所作の美しささえ思い出される。このような美しさを取り入れたことが、今回のRED MANの大きな特徴で、作品としての分裂的な完成度の高さをもたらしたものだ。
 スイミングキャップをアゴまで降ろし、観客からペットボトルを受け取り、布越しに水を飲もうとしたり細かい笑いをとった後、頭から水をかぶる。様々な意味でこの作品のカタストロフである。その後もマスクと化したキャップを息でパコパコと膨らますなど笑いの渦に包まれ、果てには安っぽい電飾ののれんのようなものをくぐって退場する。笑われるためのような自暴自棄的な設定、観客を巻き込むこと、笑われながらも美しくシャープな動きを反復すること、舞台上で水を使うという反則的行為、等によって、笑わせること、笑われることに潜む関係性の深みから、アートというものの成立までを問いかける、挑戦的な作品だといえるだろう。

# by timeofdance | 2007-08-05 00:05 | 村上和司 

Monochrome Circus

出演日 8/19/14:00/17:00

京都を拠点に国際的に活躍。コンタクト・インプロヴィゼーションを軸に、現代における関係性と身体性の再発見を模索する。


京都芸術センターガラで好評だった「朱鷺に寄せる哀歌」の再演(坂本公成、小寺麻子)の予定です。十数分間、坂本が仰向けになって両手両足に小寺を乗せ、小寺が(朱鷺ということなのでしょうか)激しく背を反らしたりしなったりするという、非常にスリリングで緊張感の高い作品です。これまででおそらく一番小さな空間での上演となると思われます。迫力倍増、ではないかと期待しています。(ジョウネン)

# by timeofdance | 2007-08-04 23:59 | Monochrome Circus 

Asha and dd.punch

出演日 8/11/15:00

ダンサーの布谷佐和子を中心にミュージシャン、イラストレーター等様々なメンバーから成るユニット。
撮影:伊藤隆一

作品名は「fool......flow, fly」。キーボードの在里佳余子さんと布谷さんが、お互いに無関係であるかのように舞台上に孤立しているのだが…といった作品です。音が入るタイミングにしても、布谷さんは「私が気持ちいいところじゃなくて、勝手に」と言うし、お互いが「不完全」であることに固執するということが、作品の奥底にはあるようです。遠く離れた島でお互いがパフォームしているのを、観客は遠くから見ているような味わいがあります。(ジョウネン)

# by timeofdance | 2007-07-13 15:06 | Asha and dd.punch 

杏奈

出演日 8/18/15:00/18:00

'99年活動拠点を大阪から東京に移し、「zeroc」結成。カナリア諸島国際コンテンポラリーダンスフェスティバルMASDANZAで1stPRIZEなど受賞多数。



# by timeofdance | 2007-07-13 14:59 | 杏奈 

f/p(TEN、三林かおる)

出演日 8/19/14:00/17:00

自身の思考と感情に1つのイメージをあたえ、作品をつくりあげることをめざす、TENの新プロジェクト。
撮影:ohta



f/p「ある視点からの日常」
振付・出演=TEN、三林かおる
日常と題されているように、ここにはいかにも他人に見せるために作られた動きは見あたらず、作品として成立させるための構成も最小限にとどめられているように見える。四角く縦にのびた光の中に、同じように気を抜いた格好で寝ころんだ二人が提示される。基本的にはその照明の中で動くことになるが、特にTENが無造作にその中から逸れて舞台の端に行ってしまったりする。特に何をするでもない。しかし、この劇場という現実の時空に立ち戻って外界と同じ日常の存在となっているわけではない。あくまでこの作品の世界の中の時空に存在していることには違いない。作品の中にありながら、いわゆる作品の中ではないように、つまり観客に見せるようでも、見られていることを意識しているようでもなく動くから、ちょっとした違和感が生まれてくる。
 20分の作品の時間を通じて、クライマックスやピーク、手に汗握ったり感嘆させられるような動きを見せられたりすることはない。淡々と流れていく。日常性を舞台に上げるということは、それ自体矛盾のような企みである。しつらえとしては、女性の居室を盗み見させているようなことになってしまっているのだが、そのような湿った暗さは感じられない。
 否定辞ばかり連ねていると、この世界からマイナスをしていっただけの世界が作られていたように思われるかも知れないが、見終わった印象は、いわく言い難いぬくもりを感じる感動的なものだった。それは彼女たちの意図には反しているかも知れないが、やはり結果的には日常というものを聖化することになったように思われる。TENの不機嫌そうな表情も、三林がバレエの公演だった決して見せないような普段の素顔の表情も、それがそのままの姿であるということが、そのまま受け入れられるべき世界として存在したわけだし、三林がバレエの稽古をしているらしいポーズをしていることも、彼女の日常の中の当たり前の一シーンとして何の違和感もなく受け入れられる。それらのすべてのことを、彼女たちが大切にしているらしいことが、観る者にとっても、大切にしたいこととして受け入れられたということだろう。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:52 | f/p(TEN、三林かおる) 

吾妻 琳

出演日 8/24/19:00・8/25/18:00

舞踏によってつちかわれた身体性と都会生まれのリアリティを前提に、現代性を取り入れた独自の舞台活動を展開。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:46 | 吾妻琳 

graggio

出演日 8/24/19:00・8/25/15:00

'04年、石田陽介を中心に結成。武道 (柔道)とコンテンポラリーの架橋となる、石田独特の関係性への鋭い考察が持ち味。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:44 | graggio 

ヤザキタケシ+松本芽紅見

出演日 8/24/19:00

今回は、パリでの協同作業を経て昨春パリで初演した「Weightless Days」のダイジェスト。9月1日black chamberで日本初演。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:43 | ヤザキタケシ+松本芽紅見 

足立七瀬

出演日 8/19/14:00/17:00

ジャズ、モダンダンスをベースとして、「自分にウソをつかない」ことをモットーに、日々模索中。パフォーマンスグループBEA Glide主宰。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:42 | 足立七瀬 

TELESCOPIC

出演日 8/25/15:00/18:00

近畿大学卒業後に旗揚げ、ごまかしのないからだの動きに執着することからしか表出することのできない空気感の創出を目指す。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:39 | TELESCOPIC 

今貂子+ベゴーニャ・カストロ

出演日 8/25/15:00/18:00

今貂子='94年、白虎社解散に伴いソロ活動開始。様々な場所、アーティストとのコラボレーションを積極的に行う。
撮影=Emiko Yamaguchi


ベゴーニャ・カストロ=マドリッド王立舞踊学校等でスペイン舞踊全般とフラメンコを学ぶ。'91年からプロ。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:38 | 今貂子+ベゴーニャ・カストロ 

室町 瞳

出演日 8/26/14:00/17:00

幼い頃よりクラシックバレエを始め、あらゆるジャンルのダンスを経験、上海太郎舞踏公司での体験を活かして自身の創作活動に奮闘中。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:34 | 室町瞳 

j.a.m.Dance Theatre

出演日:8/26/14:00/17:00

'02年、近畿大学芸術フェスティバルを機に結成。自らの感覚を重視しつつ、観客らの想像力をかきたてる作品つくりを目指す。

# by timeofdance | 2007-07-13 14:32 | j.a.m.Dance Theatre 

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